プロフィール

岸田光広

岸田光広

[自己紹介]

昭和42年(1967年)2月26日、婦人服地店を営む父の次男として尼崎市に生まれる。妻、長男、次男(双子)、三男の5人家族。
平成25年6月尼崎市議会議員に初当選

岸田英会話教室・イシュコラ代表
Facebookグループ 尼崎グルメ探検隊!管理人

趣味: 海釣り、少林寺拳法、洋楽を聴くこと
尊敬する人: 吉田松陰、高橋是清、ケネディ大統領、キング牧師
座右の銘: 天は自ら助くるものを助く
座右の書: 道は開ける(デール・カーネギー)
長所: 根気強く取り組むところ
短所: 楽観的過ぎるところ
身長188㎝、体重88㎏ 血液型:O型

 
[学歴]
武庫東小学校卒
武庫東中学校卒
尼崎北高校卒
早稲田大学卒
カーネギーメロン大学留学
米メリーランド大学大学院卒
[職歴]
信金中央金庫
日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)出向
しんきん証券出向
ファイザー株式会社
アルパイン株式会社
アルパイン・ハンガリー出向(欧州駐在)
[資格等]
MBA(米経営学修士)
CPA(米公認会計士)
証券アナリスト
地方監査会計技能士
ファイナンシャル・プランナー
防災士
TOEIC(990点)、他
[賞、ボランティア、社会活動等]
IMC AWARD 受賞 (米マリオットホテルとの共同プロジェクト) 
国際交流ボランティア(米国の小学校で日本文化の教える)
ハンガリー・ブダペスト日本人学校理事
ハンガリー・ブダペスト商工会議所会員
公会計改革ネットワーク(JAGA)会員

幼少時代

幼少時代

生まれたときの体重が4500グラムとジャンボ・ベビー、風邪などはほとんどひかない腕白で健康な子供でした。とにかく食べることが大好き、幼稚園では給食の時間が一番の楽しみ。冒険心が強く、自転車で遠くまで出掛けて遅くまでかえって来ず、親をよく心配させました。

小学校時代

小学校時代

とにかく釣りが好きで、いつも川や池、海に釣りに行っていました。また、昆虫や魚などをいつも飼っているほど生き物が大好き。勉強は苦手で、集中力が無く、学校の通知表には、いつも注意力散漫と書かれていました。このため親が困り果て、スパルタ塾に無理やり入れましたが、さらに勉強嫌いになってしまいました。

中学校時代

中学校時代

水泳部に入り、夏はいつも真っ黒。勉強は、変わらず苦手、しかし国語は好きでよく本を読んでいました。小さい頃から大きかったのですが、中学時代はなぜか身長がほとんど伸びず、同級生にどんどん追い越されて行ったのを覚えています。

高校時代

高校入学直後から、ぐんぐん身長が伸び、夏休み明けには学年で2番目になり、周りをビックリさせる。勉強は、相変わらずパッとせず、洋楽ばかり聞いて過ごしていました。また、甲子園でのビールの売り子、新聞配達、ファミリーレストランなどアルバイトに明け暮れる。祖父が警察官でオートバイが好きだったので一時、白バイ隊員にも憧れていました。

浪人時代

高校3年生になって進路指導の先生から君のような生徒でも頑張れば大学に行けると言われ受験するも、それまで全く勉強しなかったツケですべて不合格となる。仕方なく予備校に通ったが、予備校の先生の面白い授業に感動し、心機一転、猛勉強を始める。特に現代国語、古典が好きで成績も飛躍的に伸びました。

大学時代

大学時代

大学では、生活費と学費を稼ぐため、奨学金を受けると同時にアルバイトに明け暮れる。バイク便のアルバイトをしていたので東京の道にはかなり詳しくなる。たまたま読んだ国際政治の本をきっかけに政治に興味を持ち、専門は国際関係論を取り、他大学との政治の合同研究会にも参加。ゼミでは60年代のアメリカ政治、安全保障、社会主義をテーマに勉強する。夏休みを利用して、ベルリンの壁崩壊直前の東欧諸国など欧州諸国を見て回る。この時の経験がきっかけでいつか海外留学したいと思うようになる。卒業論文は、「キューバ危機における米ソ外交についての考察」。

信金中央金庫時代

信金中央金庫時代

マスコミ、商社など色々迷ったが、結局、国際関係に大きく影響を受ける外国為替の仕事に携わってみたいという思いで、信用金庫の中央銀行である信金中央金庫に就職。大阪支店での銀行業務の実務経験を積み、日本興業銀行に出向した後、市場金融部門で債券トレーダーとして証券業務に従事し、しんきん証券の立ち上げにも参画する。仕事としては、朝早くから夜遅くまで毎日忙しかったものの、仕事も楽しく充実していました。
しかし、海外との仕事のやり取りの中で、自分の英語力の無さ、また経済学や会計学、金融の専門知識の不足を痛感し、米国のビジネス・スクール留学を決意。

米国留学時代

信金中央金庫を退職し、借金をしてアメリカのメリーランド大学院に留学。メリーランド大学院を選んだのは、アメリカのトップ30のビジネス・スクールの中で、政治の中心であるワシントンD.C.に近いこと、また私費留学だったので学費が安い公立の学校ということが理由でした。
経済、金融、財政学を中心に学びましたが、アメリカ人でも大変な量の課題をこなさなければならず、毎日睡眠時間は3時間。またこの時期に、妻が双子を出産したので否応なく子育てに参加せざるを得なくなり、英語での難しい授業、慣れない海外での生活、双子の子育ての三重苦で大変な毎日を過ごしました。

ファイザー時代

メリーランド大学卒業後、志望していた米投資銀行に内定を頂いたものの、もっと広い視点からの企業経営に興味を持ったこと、また子育てにも積極的に参加したいとの希望から、米製薬会社のファイザー株式会社に入社。経理・財務の業務経験を積む一方、内部統制業務など監査業務にも従事する。ファイザーでは、アメリカの会社と日本の会社の企業風土の違いも学ぶことが出来、貴重な経験を積ませて頂きました。ファイザーの米国本社で働きたいと希望していましたが、そのチャンスはなかなかありませんでした。

アルパイン時代

アルパイン時代

海外にもう一度挑戦したいとの思いから、アルパイン株式会社に転職。福島県いわき市の事業所を経て、ハンガリーにある製造工場に赴任し、管理部門の責任者として工場経営に携わる。そこで日本の製造会社のものづくりの素晴らしさを改めて実感する。一方で赴任直後に起こったリーマンショックで工場のコスト削減など工場の経営の立て直しに四苦八苦しました。
 仕事以外でもブダペスト商工会議での活動とともに、ブダペスト日本人学校の理事として学校経営にも携わる。ハンガリー時代は、日本・ハンガリー国交樹立140周年で訪汎された秋篠宮殿下と紀子妃殿下を日本人学校にお迎えし、ショーヨム・ハンガリー大統領とお会いしてお話しさせて頂くなど、本当に得難い経験をさせて頂きました。

ハンガリー時代、欧州市場で自動車やテレビなど韓国や中国製品が台頭し、海外市場での日本企業の相対的な地位低下を実感する。また海外から日本の国内政治の混乱ぶりを見ていて日本の政治はこのままでいいのかとの思いが募り、帰国後、政治の道に進むことを決意しました。